このリカバリストーリーも2020年のものです。。

初めまして、精神障害者ピアサポーター訓練生の甫立と申します。まずは僕の小さい頃の性格と簡単な経歴とから話します。

まず、小さい頃の小学校ぐらいから高校までの自分についてお話しします。

 

この時期に一番印象に残っているのは、僕の行動に二面性(強く見せる自分と繊細な自分)があって、正直ではなかったという事。

それから、僕が6歳ぐらいの時に、インベーダーゲームが出だしてゲームをする事にはまったという事です。

 

小学生低学年の頃、ファミコンが大流行して僕も親にねだったのですが、人気がありすぎて僕は買えませんでした。

仕方が無いので、僕はセガの本体を買ってゲームを始めたのですが、その頃から、僕はゲームに依存していたようです。

というのも、家族で旅行に行った時も楽しくなく、頭の中はゲームの事ばかり考えていました。

 

そして、さらに厄介なのがゲーム依存と関係あるかどうかは解りませんが、平気で「嘘をつく」様になったことです。

僕にとって嘘をつくことは自然な事でした。そして、そのことで親に折檻を受けたこともありました。

でも、僕は人生を舐めていたのか・・・別にかまわないという態度でした。

 

そういった態度(まぁ、いわゆる2面性です。)で、僕は小学校・中学校・高校を過ごしていました。もちろんうわべだけの態度はだんだん立派になっていきました。

そして、僕は青春時代の反抗期がありませんでした。親から見たらありがたい存在。僕自身としては、ほんとの自分をさらけ出せない状態という所でしょうか。

 

そして、そんな僕は、大学を出て広島のアミューズメント会社に就職しました。しかし、人間関係がうまくいかなくなって、3年で退社しました。そして、実家に戻りぶらぶらしていた1年後に脳梗塞を発症し、記憶力に障害が出て、自分に自信が無くなり、ひきこもり生活が始まりました。

それから、僕は17年間親の元でひきこもり生活を続けました。病歴としては、脳梗塞の1年後に精神的に不安定になり、軽いうつ病と診断され薬を処方されました。

そのあと数年後に、電車に乗ったら発作が出るパニック障害と診断。その数年後は人ごみのある状況で、パニック障害のもっとひどい発作が出て対人恐怖症と診断されました。

そうこうしているうちに症状が良くなった時期があって、勝手にひと月ほど薬を止めたら、症状が一気に酷くなって幻聴が聞こえるようになり、統合失調症と診断され、3か月ほど病院に強制入院しました。この入院時の体験は僕にとって、ものすごく辛いものでした。

 

そして、実はこういった病気が酷くなっていった状況でも、ひきこもり支援団体に繋がったり、思い立って、数回は、病歴を隠して(これはクローズと言います)アルバイトを始めましたが、ひきこもりだとバレたり、数回はストレスで精神状態が悪くなり、うまくいかずに短期間で退職を繰り返していました。

 

そして、今は統合失調症で障害年金2級を貰っています。

ところで、ひきこもって10年ぐらいでしょうか・・・人生の中で、自分を変える出来事があります。それはちょっとしたきっかけでした。僕が精神的に体調が回復してきたとき、ふと町の広報を読んでいた時に、町内で軽いウォーキング大会がある事を知りました。

 

興味を持った僕は、ちょっと勇気を出していってみようと思って参加に応募しました。

そして、その結果なのですけど・・・60代ぐらいの人が多くて37歳の僕とは同年代の人はあまりいなかったのですけど、僕は初めてこんな優しい人たちがいる場所があるんだ・・・と初めて実感しました。

そこで、参加者の方々にいろいろ話を聞いてみると・・・その方々は社会福祉協議会に所属している事が多かったのです。

そこから、僕は社会福祉協議会のボランティア養成講座に応募しました。そこで、僕は初めて自分がひきこもりである事を担当の方に告げました(オープンと言います。)

 

すると、担当者の方は僕と年代の近い、一人の女性を紹介してくださいました。その方はオペラ歌手で音楽教室を仕事にしている方でした。

その方と最初の頃・・・どうやって信頼関係を築いていったかは覚えていません。でも、僕は鹿児島に引っ越すまで彼女と親友でした。彼女も男性の親友は初めてだったと言っていました。

 

僕は、彼女と交流を深めていくうちに、彼女の考え方・・・「縁」を大切にする事と末永く信頼関係を築く事を学びました。そして、社会福祉協議会では丁寧な礼儀作法、話し方などを学びました。

そうやって、僕は徐々に精神的に回復していきました。この頃からでしょうか・・・家族の夕飯をクックパッドで調べて作るようになったのは。

そんな感じのひきこもりながらも精神的に安定した生活を7年送っていました。なので、鹿児島に引っ越したのが6年前ですが・・・鹿児島に引っ越してからも、3年間はひきこもり続けていました。

 

ところで、埼玉県にいた頃、社会福祉協議会の印象を暖かいと感じていた僕は、さつま町の社会福祉協議会にも顔を出していました。ボランティア養成講座にも行きました。

でも、残念なことにさつま町の社会福祉協議会には、僕好みのボランティア団体は無かったのです。ただ、さつま町の社会福祉協議会さんは、埼玉県と同じ雰囲気を感じました。

なので、数か月に一回顔を出して、ちょっと担当の人とお話をしたり、面白そうな講座があったら紹介してもらって参加していました。

 

そうしていく時、ある時・・・担当の人から、「こういう作業所があるから行ってみない?」と言われてパンフレットを貰いました。その作業所が昔、通っていたB型作業所アイテラスです。

人生、どんな繋がりがどんな事に繋がるかなんて予想もつきません。でも、僕の場合は埼玉の親友に教わった「縁」を大切にする事で、たまたまだけど、ここまで来ることが出来ました。

 

そして実は、「縁」とか「恩返し」という言葉は、今も僕の心の奥底で大切にしている言葉です。

僕の場合は自分の為だけに生きるのは辛かったです。でも、誰かのために生きる、僕を助けてくれた人に恩返しをするんだっていう気持ちで行動していたら、いろんな人の助けを貰ってここまで来ました。

 

皆さんは「縁」とか「恩返し」って言葉についてどう思いますか?

自分に優しくしてくれた・・・手を差し伸べてくれた人にどう接していますか?

 

皆さんに伝えたい事があります。

僕は今、人に対して「正直」に行動しようと常に考えています。嘘をつくという事は、人に信頼されないという事です。

 

そして、「正直」に「縁」と「恩返し」を加えると、人に信じてもらえる人間になります。

但し、これは僕の経験から生まれたものであり、必ずしも誰もが当てはまるものではありません。

 

でも、僕の話を聞いて、皆さんの心に波紋が起こったら、僕の真似をしてみてください。何かを1から始めるのは難しいけど、真似は簡単にできます。

そして、この「真似」のお話について掘り下げます。

 

皆さん、人の真似をした事ってありますか?

「いいな」と思った人の考え方・行動を真似してみる・・・ってやったことありますか?

この「いい人の真似をする」ってことは、お金もかからないし、必要なところだけ真似をすれば、結構面白い結果になります。もし興味があれば、自分なりに他人の「話し方・行動・考え方」を真似してみると面白いと思います。

自分がいいなと思う人の真似をする事。それだけで人間は変わっていくのです。

それでは、僕の話を終わりにします。ありがとうございました。

 

あ。そうだ・・・このお話は、僕のホームページ「ひきかご」に書かれている事を、再編集したものです。ホームページはスマホでもパソコンでも見る事が出来ます。

「ひきかご」とひらがなで検索すれば、だれでも読むことが出来ます。良かったら見てください。それでは、ありがとうございました。

せいのリカバリストーリーの最新記事8件